毎年、お正月になると家族や親戚が集まって食べるおせち料理には古くからの歴史があります。おせち料理の起源は弥生時代にまで遡り、当時の人々は作物の収穫を季節ごとに神様に感謝し、生活の節目を付けていました。当時、中国から季節の変わり目を「節」とした暦がもたらされたので、季節ごとに神様に感謝の意を表す収穫した作物を備えることを「節句」と言い、五節句と合わせて作った料理を「節供料理」と言いました。中国から伝わった「節」の暦が定着し、奈良時代には宮中行事として、作物の豊作と人々の健康や無病息災を祈り神様にお供えをして宴が行われるようになりました。
これを「節会」と言います。節会で食されていた御馳走は「御節供」と言い、のちのおせち料理となります。おせち料理は重箱に詰めて数段重ねますが、おめでたいことを重ねるという意味があります。地域によって異なりますが重箱は四段が一般的で、一の重、二の重、三の重、与の重、五の重となっています。
四という漢字は死を連想されてしまうことから与を使うことになっています。一の重には祝い肴として黒豆や田作り、きんぴらなどお酒の摘まみになるものを入れます。二の重には口取りとして蒲鉾や伊達巻、栗きんとんなど幅広い年齢層でも楽しめるものを入れます。三の重には鯛や海老など縁起の良い海の幸の焼き物を、与の重には里芋や蓮根など縁起の良い山の幸の煮物を入れます。
五の重は空っぽにしておき、来年は五の重にもおせちが入りますようにと将来の繁栄を願う意味があります。おせちのことならこちら